2021年 05月 31日
真の幸せの確立への理解
心は忙しく外側からの事象に反作用させられ、感情は常に波打ち、静かな鏡のような水面をみることなく、私たちは心が自分自身と勘違いしたままに、美しい真我を忘れて幸せを確立できなく年月を過ごします。
真の幸せを説き導くために過去において神はイエスを地上に降臨させたと言われます。
そのことを知る大師がたの言葉を記します。
聖なる言葉の放つ霊的な真理の波動は…内側に静かに響き合い、元々あるものを思い出させるかもしれないと思います。
「今日はクリスマスの朝です。皆さんにとっては、今日はナザレのイエス、即ちキリストの生まれた日でありましょう。イエスは罪を赦すためにこの地上に送られたのだという考えが、先ず頭に浮かぶことでしょう。又、皆さんにとっては、イエスは皆さんと神とのあいだの偉大なる仲介者であるに違いないでしょう。人間の心の中以外にはわたしは知らないのであるが、天と称するどこか遠く離れた処に坐っている厳しい、時には怒ったりもする神への仲介者としてのイエスに、皆さんはいろいろと訴え事をなさる。神ほど厳しくはなく、神よりも愛の深い神の子(わたしたちが『祝福されし者』と呼び慣わしている方)、地上への誕生日を今日のこの日に記念する偉大にして高貴なる『一者』であるイエスを通してのみ、人は神に近づくことができると皆さんは思っておられる。しかし、わたしたちにとって、今日はもっと多くの意義ある日なのです。それは只イエス、即ちキリストがこの地上に到来したことを意味するだけでなく、この誕生日は同時に又、すべての人間の実相もまたキリストであるという自覚が、人各々の心の中に誕生することを象徴しているのです。このクリスマス・デイは、偉大なる導師にして教師、物質による束縛と制約とからの人類の解放者の誕生を意味します。この偉大なる魂は、真の神、大いなる全能、偏在、全智なる唯一者に至る道をもっと完全に示すために、又、神はすべての善、すべての知恵、すべての真理、すべてのすべてであることを示すために地上に来たのです。今日のこの日、この世界に降臨したもうた偉大なる導師は神がわれわれ人間の外に在るだけでなく、われわれの内にも在ること、神はわたしたちやその被造物から決して離れているものではなく、また離れさせられるものでもないこと、神は常に公正にして愛深きこと、神はすべてであり、すべてを知り、すべての真理を知り、又すべての真理であることなどを、これまでよりもっと完全に知らせるために遣わされたのであります。たとえわたしにすべての人々が理解できたとしても、この聖なる誕生の意味を簡単にでもあなた方に言い表すことは、わたしの力の及ぶところではありません。
この偉大なる導師にして教師であるイエスは、わたしたちにこの地上における人生の意義をもっと完全に理解させるために、また人間に不随している制約はすべて人間自身が造り出したものであって、決してその他の意味に解すべきものではないことを、もっとよく理解させるために来られたのであると、わたしたちは確信しております、又皆さんにもそれが分かるようになると思います。すべての教師の中でも最大のこの教師は、彼の内なるキリスト、彼の巨大なるみ業の源であるキリストは、皆さんの中にも在って同じキリストであること、イエスのみ教えを実際に行ずることによってイエスの為し給うたみ業、及びそれよりも大いなる業を為すことのできることを、もっとよく示すために来給うたのです。神はありとあらゆるものの偉大なる、且つ唯一の原因者であることをよりよく示すために来給うたのであります。
中略
わたしとしては、他の偉大なる導師たちのように、イエスの場合もその教えは間違いなく神からの直接の啓示であると考えてはいます。しかし、またすべてのものは神のものではないのでしょうか。一人の人間に出来ることなら、万人もまた同じ事を為し得るのではないでしょうか。神は神御自身をイエスに啓示し給うたように、万人に対しても又、何時でも喜んで啓示し給うものであることを、皆さんもいずれは確信されることとわたしたちは信じています。各人にとって唯一の必要なことは、わが内にある神を喜んで引き出すことです。人はみな平等に創られていること、人はみな自他一体であること、イエスの為し給うた偉大なるみ業は誰でも為しうるものであり、また為すであろうことを、わたしたちは哀心から信じています。これらの業には実は何一つ神秘とすべきもののないことがいずれ分かるでしょう。神秘というものは浅はかな人間の考え方の中にあるものです。
皆さんが、実は多少の猜疑心を持ちながらわたしたちのところに来たことはよく知っています。皆さんはわたしたちと一緒に生活して、わたしをあるがままに理解なさることと信じます。わたしたちのする業とその結果を受け入れるか否認するかは、皆さんのお心次第なのです。
ーヒマラヤ聖者の生活探究
偽我の我から真我の我へ変性するために
真理の理解へと意識を向上させる努力こそ真の幸せを生きる道
このためにわたしたちは肉体をまとい、進化の途上にあります。
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by serene44
| 2021-05-31 22:32
| 終活
2021年 05月 30日
インスタントの幸せに生きる無知からの脱却
美味しいもの食べて幸せ、などの五感を満たす幸せ。
簡単に得られてすぐに失われ、またすぐ欲するもの。
健康でお金があって、好きなことをして過ごす幸せ。
健康が失われると健康を欲して苦しみを味わう。
好きなこと以外は苦痛で、お金の為に我慢する。
好きな人と過ごす幸せ。
嫌いな人がいて、嫌な気持ちになる。
好きな人とも必ず別れが来る。
諸行無常。だからといって刹那に悲しまないよう、傷つかないよう、感受性を閉ざすなら、花の蕾を開かないように圧力をかけるようなもの。
健康を欲して不健康な要素を排除する努力も、不安からのもの。
不健康なものをやめられなく、五感の欲望の奴隷となりながらも、それを幸せと思い変えないこと。
大切な人のためにと思いながら、執着心から自由でないこと。
好きな人以外には冷淡だったりすること。
ほんとうの愛に生きていない限り、真に失われない幸せはなく、常に幸せは条件に左右され翻弄されます。
ほんとうの愛とは?
花々がそれぞれの本質のままに咲き誇るように、伸びやかにいのちを生きること。
そこには分離感などなく、失う心配もなく、ただあるがままの喜びが表現される愛の存在。
真の幸せに生きることは、シンプルでいて、近くて遠い道のりでもあります。
なぜなら、私たちはインスタントの幸せの堕落した安易な生活に慣れきってしまっているから、真の幸せというものを受け入れたくない状態です。
それは、ほんとうの愛に生きて幸せなことに無知なままでいるからでもあり、想像も及ばない幸せがすぐ得られることを全く知らないからです。
天国は遠いところにあり、死んでから行くところであり、現世は苦痛に満ちていると勘違いさせられたまま、それを疑うことなく受け入れています。
そして、死んでから天国を探して彷徨っている魂が多いと言われる所以です。
真実が明かされる時代に、今いることの幸運は、真にそれを求め続けてきた私たちの魂からの求めであることの意識の高まりにより成就されるものだと思います。
真の幸せを生きる教師がたがおられます。
私たちと違ういのちではなく、同じいのちを生きておられ、私たちもそのように生きられることを示し導いているのです。
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by serene44
| 2021-05-30 22:26
| 終活
2021年 05月 22日
幸せの条件は無条件
幸せの条件があるなら
ほんとうの幸せではなく
何かを得て満たされて幸せ、失うと不幸だとすると
常に変化する現実世界に翻弄されるがままです。
全ての人が違う条件下で生きる中で
絶対的な幸せを得るのは、条件を超えたもの。
この世の常識での不幸
運が作用するなら
不運は何処から運ばれてくるのでしょう。
完全なる法則の元に、平等に与えられる宿題とも言い
全て自己責任に帰するもの、と理解したとき
なるほど自分次第なのだと肚を決められると思います。
今、どのような想いを放っているか
観察するなら
放った想念と同調するものを受け取っています。
同じものを見ても
見る側の意識により、全く違う側面を見るため
受け手が、それぞれの世界をつくります。
どのように悪しき表現を受けたとしても、受け取らない自由があります。
蒔いた種を発芽させるのは自分。
不幸を見つめて不幸を味わう
とても苦しそうですね…
私たちは罰を受けるのではありません。
より良くなるために、修練が与えられるだけ。
より強く優しく愛に生きることができるために。
不幸というものは幻影だと知ることになります。
幸せは元から備わり
私たちは全てが幸せに気づき、幸せを謳歌するために
様々な体験を通して学ぶのがこの世の時間。
今ここから逃げたとしても
幸せになるために更なる学びがあります。
常に過去現在未来は連続してある道のり
一足飛びにジャンプアップする未来があるなら
それは現在の意識を変えていく積み重ねで
死んで天国極楽に行けるという幻想は、何を根拠としてそう思うのでしょう。
教えられた常識や信条を、自らの中で再考していく必要が、変化する現実に翻弄されない自分をつくっていくと感じます。
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by serene44
| 2021-05-22 15:15
| 終活
2021年 05月 09日
目的地は何処かを知る手始め
目的地は何処か
何を目的としているのかを知らずにいます。
幸せになるため
人生の最高目的が幸せと考える人が多数派です。
幸せって
衣食住が満たされるお金があり
家族や友人という愛する人がいて
好きなことをして暮らし
病気などなく老衰で穏やかに死に
天国極楽に迎えられ、あの世からこちらを見守る
…絵図でしょうか
567で、人生とはなんだろう、と想いを馳せる人が多いかもしれません。
未来予想図は、靄がかかって突然の変更があるかもしれない不安を抱えて
様々な宗教にも答えがなく幸せ迷子をつくります。
死ねば天国極楽に、祈りや読経が先祖を救う、など様々に教える宗教の教師がいます。
信じている考えは、どうして信じるに至ったのか
実践して自らも幸せの道を歩んでいるか、どうでしょう。
先ずは、静かな心で正しく感じられるよう
想い・言葉・表現を美しく正しいものとする努力を
一瞬一瞬重ねていくことから
真実が、真理が感じみえるようになる器を養っていきたいと思います。
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by serene44
| 2021-05-09 16:19
| 終活
2021年 03月 22日
友とは、労働とは
大切なことや大切なものが変化していくというより
心に染みる関わりを深く感じられる。
通り過ぎる風景と
共に景色を眺める友の存在。
語る言葉の表面でなく背後にある愛の心を感じて
そのスピリットに触れ過ごす時間を愛しく感じて
あなたとわたしが重なり
私たちが新しくなる体験。
友がその考えを語るとき、恐れるな、君自身の心のなかの「否」を。そしてまたおさえるな、「然り」を。
また、友が黙するとき、君の心は止めてはいけない。かれの心に耳を傾けることを。
なぜなら、君がかれのなかで一番愛しているものは、かれのいないときにこそ明らかになるのだから。
山は、それを目指す者には、平野からこそ明らかに見えるもの。
そして友情には、精神を深めることの他にはどんな目的もあらしめるな。
そして君の最良のものが友のためであるように。
時間を生かすための友をこそ常に求めなさい。
なぜなら、友とは君の需めを満たすもの。君の空虚を満たすためのものではない。
そして友情の甘美さのうちに笑いがあるように。そしてまた楽しみの分かち合いも。
なぜなら、小さな事柄の一滴のうちにも、心は自分の朝を見つけてさわやかになるのだから。
ー預言者 カリール・ジブラン
同じいのちの多様性を生きる私たちは個性は違い体験が違い役割が違いながらも、つながりし存在。
無邪気さを生きるとき、違いは隔てなく、興味深く尊いもの。
子どもの喧嘩が心に暗さを作らないように、元々私たちは相対することなく、手を繋いできた。
日本には「水に流す」という言葉があるのは
敢えてそう言わないと澱みが溜まってしまうからに思う。
わだかまりを作る社会は、一人ひとりの内にあるものが写されているだけ。
他人事を自分事に想い感じることが、古の私たちの精神にあったはずです。
多様な個性が共に生きる社会、足りないものを補い助け合いながら学びとし、成長を喜び合う舞台として、この世を体験していきます。
しかし、もし苦しみの日に、「生まれてきたことは禍いだ。肉体を養うことは額に記された呪いのせいだ」と言うなら、私は答えます。
「あなたの額の汗だけが、記された呪いを消し去れるのだ」と。
愛をもって労働するとき、あなたは自分をつなぎとめる。自分自身に、ひとに、そして神に。
いやいやながら葡萄を搾れば、その吝嗇が葡萄酒に毒を盛ります。
預言者 カリール・ジブラン
純粋さは内在する神の資質を曇りなく現し
自身と周りを明るく照らします。
先を憂うことなく、今を一所懸命に出し切る気持ちで、足を上に運ぶときを重ねる。
カルマという、それぞれの宿題である良くない思い癖を正すために、様々な役割を演じる人がいたり、課題は愛の試練。
上を向いて、努力し進むときも見えない導きをいただきながらいることを感じられるよう、純粋さを胸に。感謝を携え。
朝露のような心を
夜に養うために
静かな夜の闇が優しく広がります。
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by serene44
| 2021-03-22 22:39
| 終活