平和は戦争の否定ではない。
美徳は決して対立の否定の結果ではない。

「理想主義者は理想に追随しない人々よりも葛藤(トラブル)を引き起こしているのではなかろうか。
理想はものごとよりも人間を分割しているのが事実である。

闘い、戦争、憎しみに導いているのは、人が自分の考えの方が他の者の考えよりも重大であると思っているからである。
観念なるものが何であり、それがいかにしてわれわれを分割するかを知った時、初めて和解が可能である。

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われわれは自らを、やれイギリス人、やれ中国人、その他何々人と称している。
そしてわれわれは、何らかのグループにしがみつくが、それは安全でありたいからである。
この帰属意識がわれわれにある安全感を与える。
しかし、人々の何らかのグループへの帰属意識は、分離と崩壊と戦争とを意味するものであって、そこには何らの安全もない。

内側に、心理的に闘いがある限り、そこにはこの闘いの反映が必然的にともなう。
平和を得ようとしながら、われわれ自身のこの裡なる闘いを正見しなければ、組織することは無意味である。

「心と胸(ハート)は平安、静謐でなければならない。
そうすれば、君は闘いがないということがどんなものであるかが分かるであろう。」

理解力ある者の唇には英知あり。
されど、理解力なき者の背後には鞭あり

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正見のみが、必要にしてかつ重大なる変化を
まず個人に、
次いで世界にももたらす。
個人のありようがすなわち、世界のありようであるからである。
このことを深く省察するならば、われわれが実は今日の世界を造っていることが分かるであろう。
『蒔かぬ種子は生えぬ』である。
内のごとくに外は成るのである。

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「さて、人々は個人が混乱と抗争より解放される前に、
まず集団(家庭、社会、国家、民族、世界等)が更生しなければならないと信じている。
しかし、事実は逆である。
なぜなら、個人の更生なくして大衆の自由はあり得ないからである。
また、個人間の関係の正見なくして、更生はあり得ない。
なぜならば、個人は全体と別個の存在ではないからである」

「さて、世界はある種の行動を叫び求めている。
われわれは何をなすべきかを知りたがっている。
世界がイデオロギーによって分割され、互いに争い合い、
一方では宗教団体と称するものが人と人とを敵対させている時において、特にしかりである。
世界はかくのごとき混乱、かくのごとき苦悩、かくのごとき混迷の中にある。
しかし、それがわれわれ自身の行動に起因すること、
なぜなら、われわれ自身が世界であるからであることを、われわれは悟っていない。」

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「ある者は、図像、木石の像、あるいは神についてのある観念を拝む。
これは彼自身の蛮行、あるいは他人の蛮行にとっての、まことに都合のよい逃げ口である。
しかし、それでは問題の解決にはならない。
愛のみが唯一の解決手段である。
隣人を自分自身のように愛するー隣人とは、君の出会うすべての人々のことである。
それこそが、真理なのである。
それは単なる観念であってはならない。
自己の裡なる、行動する変性でなければならない。
なぜなら、内なるものが外なるものとなるからである。
それこそが、キリストのヨーガなのである」

「自分自身を学ぶには、完全なる正直さが必要である。
君は自分の思考ー感情ー反作用、特に他人に対するそれに気づいていなければならない。
そうすると、自分が何であるかが分かる。
何が実在をおおい隠しているかが分かる。
どんなに自我がでしゃばっているかが分かる。
ゆえに、イエスはのたもうた。
『サタンよ、吾が後に退れ』と。
サタンとは、『実在するもの』を隠している自我であり、嘘言者であり、詐欺師のことである。

わたしが自分の想念ー感情をただ統御するだけであれば、そこには本当の正見はあり得ません。
わたしを解脱させるのは、わたしを条件反射(洗脳)させているものを徹見することです。

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依存したが最後、君は非宗教的になるーそれが君の信条というもののために、君を分離と闘争とに導く。

「本当の宗教は、あらゆる信条、国籍、理想を超越している。
それを知ることが、『全体の中のひとつ』『ひとつの中の全体』を悟る端緒(はじまり)である。
それが世界の平和と繁栄とへの道、個人の幸せへの道である。
なぜなら、本当にわれわれが真の意味における宗教的となるならば、
魂は平安であり、その結果として、世界に平和が来るからである。
あの内なる平和、分離より解脱したすべての魂の中に目覚めるキリスト魂(スピリット)の、
あの英知と愛とがなければならない」

ーキリストのヨーガ M・マクドナルド・ベイン著 仲里誠桔訳

わたしは主として偽物(にせもの)を摘発する目的を持ってこの書を記した。
偽物を知ることによってのみ、読者は本物を悟ることができるのである。
その時、真理は読者を解脱させるであろう。

自分の内に平安が無いにもかかわらず、
平和が世界に無いのは、誰かのせいであり、彼らが変わらないと世界は変わらないという理論…
謙虚に立ち還ることと依存に気づいていくことでは。
真の平和の顕現を阻むのは自分自身であることを正見することから。

あまりに長く、根深く、あらゆる場面で古いものに覆い隠されているものに気づいていくには
にせものの安全意識を剥がしていく。
洗脳は、特別なことではなく、無意識のうちに洗脳がベースにあります。

何かに帰属する怠惰な安心感は、活発な自由とは対極。
どこか、窮屈で楽しくない伝統?を疑う。
誰のせいでもない、自身の選択による、人生は
現在、魂からの喜びがあるでしょうか?

肉体を脱いだ先には、無ではなく、ラクになる世界が待ち受けるわけでもなく、
今に変性が無い限りは、それなりのものであることは当たり前ではないでしょうか?

正しい識別力と努力により
自身と世界の平安を顕現していけますよう!


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# by serene44 | 2019-01-14 20:30 | 終活 | Comments(0)

2019年は自己改善を

「祈る時君はたいてい不確かな状態にある。違うかね?
矛盾に悩んでいる状態とか、不幸せである時とか、心が乱れている時とかね」

「祈りの中で、君は常に待ち、希望しながら手を伸ばしている。
そして、希望には希望のない状態がつきまとっている。
君は甲を失って乙を求めるために努力しているのだ。
しかし、祈りは、君を祈らせている状態そのものを造り出すことから、
心を解放することは決してできないものであることが分かるであろう。
ゆえに、そこには常に不安がつきまとっている。
祈りを要求するのはこの不確かな状態なのだ。
ゆえにこの矛盾の解決は心をそれ自身の
問題を造り出すことから解放することにある。」

「さて、祈りは祈願者次第である。
人があるものを求めると、そこにはある無意識の反応がある。
その反応は何世紀にもわたる無意識の体験から来るもので、
祈願者の心の状態に応じて、彼は受け取る。
イエスが言われた通り、
『汝受けたりと信ぜよ。然らば汝そを得ん』である。」

「世界は何世紀もの間、平和を祈って来ている。
しかし、平和は依然として遥か彼方である。
戦争の原因を知らずして平和を祈っても、何になるのか?
失敗の原因を知らずして、成功を祈って何になるのか?」

「必要欠くべからざることは、心ー問題の原因である自我ー
の全過程を徹見することである。」

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「ー自我を知ることがなければ、解決はない。
これが真の「祈り」だったのだ。
それが実在の働く場となる瞑想だったのだ。
そしてこの働きは広大であり、無限である。ー」

ーキリストのヨーガ M・マクドナルド・ベイン著 仲里誠桔訳

2018年は、それまでの常識を覆す様々な現象が起こりました。
…それさえも序の口。2019年、2020年は更に厳しいと言われ
私たちは早急に自己改善していかねばならなず、自覚が必要です。
"いつか"ではなく、""。

「必要欠くべからざることは、心ー問題の原因である自我ー
の全過程を徹見することである。」

難しい修行をすることではなく、
一瞬一瞬、自己の思考に意識的であること。
偽我の現れには「サタンよ去れ」我は本質なりと切り替えていく。
抑えるのではなく、出していく過程で焼き尽くす。
蓋をするから腐敗するのであり、出して無くしていけるものと知り。
本来のものでない曇りは、想い癖であったり習慣化されているだけの、実在ではないもの。
愛に還ることができる私たちなのです。

そして間違いやすいのは
真の愛は、甘やかしではない。
識別力が必要。

これから地球のどれだけのものが残ることができるかと問うとき
私たちは自己改善に必死にならなくてはいけないと、自覚できるのでは。
誰が裁くのではなく、自分こそ己を知っているはず。
調和して、他に寄与していける私たちとなれますよう。


魂に響く光話。
真実を知ることができる稀有な機会に恵まれていることを放棄することこそ、死んでも悔みきれぬことと思います。
今、全ての偽物が露わになる時代に遭遇して。
今、かつてない愛の時代の幕開けに遭遇して。
何を選択していくか、魂の声に忠実であらんと願います。

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『汝受けたりと信ぜよ。然らば汝そを得ん』
このことの深い意味を体感していけますよう。
正しい努力を追求して。

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# by serene44 | 2019-01-01 23:53 | 終活 | Comments(0)

希望=不安

未来の不安。
過去を悔恨。
今現在に心の平安はあるでしょうか。

何か条件が良ければ安心?
その条件は不変でありましょうか?

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『吾これらのことを為すも、汝等正覚を得れば、より大いなる業を為さん』
これと同じ言葉がほぼ二千年前に(イエスによって)語られたが、
人々はその時よりこの方、大して進歩はしていない。
それというのも、主として彼らが盲者たちの模倣者であるからだ。

「君はどんな肖像をも、石造り、木造り、あるいは人間の形をとった、いわゆるキリスト像なるものをも崇拝してはならない。
なぜなら、それは君を実在なるものから他へ踏み迷わせるからだ。
人々が裡なるキリストに対する無知の中に居続ける限り、彼らは彼らを操り、まるめこみ、食い物にする偽預言者たちの道具となってしまう。
彼らはその蒙を啓かれて初めて、この束縛から自分自身を解放することができるのである」

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希望とは不安の一状態なのだ。人間は不完全な状態があると、希望に生きるものだ。
聖書の箴言十七章十節の中で預言者はこう言っている。
『一度の戒めに知恵ある者の徹するは、愚者への百叩きより深し』と。
賢人はあやまちを認めるが、愚人はあやまちを繰り返す。

「たいていの人々は、反対物の観点から考える。
彼らは動乱のない状態を求める。なぜか。
まさしく動乱しているがゆえにである。
もしも君もそうであるならば、心が動乱している理由を突き止めなければならない。
そうすれば、自分が希望を求めている理由が分かるであろう。」

「不安となる瞬間、人は失望の状態に入る。
すると人は希望の哲学を造りあげる。
しかし、希望に関する真理が分かると、不安と希望との両方からの解脱が生ずる。」

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「正見することによって、過去と未来とが融け去った時に平静が生じ、
この平静の中に『実在するもの』、創造の働きをする実に活発々の本地が現前するのである。

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「君が君自身の心の動きに警戒をおこたらず、それを自覚するならば、
その自覚によって、君は君自身を咎めることなく、恐怖することもなく、決めつけることなしに、
本当にあるがままの自分を知るであろう。
その時初めて、君は心がいかにして造りあげられるものであるかが分かるであろう。

その時初めて、造り出されるものではないところの『実在するもの』が現前する。
父なる神が御業をなしたまう。
父なる神は現在の中に、いたるところに常在したまい、あらゆる被造物の背後にいます唯一の知恵にまします。

「では、君の心をよくよく見るがよい。そうすれば、君がどんなに他の人々の考えおよび
搾取する宗教、政治、経済界の指導者たちによって影響され、洗脳されて来ているかが分かるであろう。
これらの徒輩は、すべて真理の器ではない。その反対なのだ。
唯一の創造者である実在を発見するためには、
さまざまな微妙なる影響と、それに対する自分の反応とに君は気づかなければならないのだ

ーキリストのヨーガ M・マクドナルド・ベイン著 仲里誠桔

コロコロ変幻するばかりの心、外側に翻弄されるがままの状態を見つめ、気づいていくこと。
不安や恐怖は実在なるものではなく、気づくことにより霧散され
本来の自分を生きるよう。

未来も過去も幻影、現在のみが実在。

努力あるのみです。


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# by serene44 | 2018-12-10 00:16 | 終活 | Comments(0)

識別・霊感

あなたがたが聖書、またはあらゆる霊感の書、
特にあなたがたの瞑想のために、あなたがたに与えてきたこれらの言葉を読む時、
言葉の背後にある"霊"を求めなさい。
あなたがたが求めなければならないのは、文字や言葉ではありません。
それを待ちなさい、深く考えなさい、
そうすればわたしは霊感を与え、あなたがたの中にその真理を現します。

このようにして、あなたがたはそれを自分のものにすることになります。
このやり方でのみ、あなたがたの中に真理が明かされることができます。
それは内から来なければなりません。
外からではありません。
これらの言葉はあなたがたの意識を、一切が明らかになる"霊"の領域へ高めます。

ーディヴァイン ヒーリング イエスご自身が語られた御教え M・マクドナルド・ベイン著

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「すべてを受け入れる」という言葉は、非常に間違いをおかすし、勘違いをしますよ。
間違った方向もすべて受け入れるになってしまいますよ。
我々はこれから進んでいくなかに"識別"というものは完璧に理解しないと。

たとえば、ここに間違った教えがある。
ここに真実の正しい教えがある。

すべてを受け入れなくてはならないというなら、間違った教えをも受け入れますよ。
大事なのは識別ですよ。
だから、すべてを受け入れるというなら、非常に勘違いします。
完璧に完璧に深いところを理解できぬ者には言わないほうがいい。
勘違いさせますよ。

大事なのは識別"正しさ"です。

イエス・キリストは「識別せよ」と教えたの。
「あなたがたは罪人」と罪だけを教えられて、罪だけを認めていては、絶対に根源の世界には帰れない。
愛を認めること、愛を見つめること、愛を意識すること、と教えましたよ。

ー上江洲義秀 質疑応答集 上江洲書店プロジェクト・編

言葉は、現象は、意識の状態により様々に受け取れます。
大切なのは、真意を、真理を、霊としての我が内側から感じ取れるよう、
心を澄ませて、正しいものを感じ求めること。

愛でないものは、心を曇らせ
真理を曇らせます。

あらゆる世相の問題は
愛による正しい識別により
霧散し
すべては美しさを顕現していける
鍵を私たちは内に閉ざしたまま。

今こそ真剣に求めるとき、ではないでしょうか。
ただ欲に執着に囚われて浮き草のように流され消える人生ではなく…

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# by serene44 | 2018-11-27 00:34 | 終活 | Comments(0)

私を置いていかないで…

残された場に留まるのではなく
先に行くものを仰ぎ、自らも前を歩む努力をすることは
共に心に安らかな愛が広がるのではないでしょうか。

執着は愛から離れ、心を縛るゆえに悲しみや苦しみをつくります。
無知を晴らすことにより、心は明るく、観る世界は変わります。

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皆さんは"死"といっているけど、我々に言わせれば、
それは一成長のための"脱皮"なんです。

なぜ身内の者が肉体を脱ぐときに、
悲しんだり泣いたり。
またペットが死んだときも、悩んだり苦しんだり悲しんだり。
成長が見えてないからなんです。
成長が見えている者には喜びなんです。

もし身内の者が肉体を脱いだときに、悲しんだり泣いたりするとね。
逆にその肉体を脱いだ者が「私のほうが泣きたいよ」と言っていますよ。
「私は成長、喜びのために一皮脱いでいるのに、なぜ悲しいの?あなた方のために私は悲しい」と言っていますよ、上から。

カタチあって ともにそこにあるまでは、人間でも、動物でも、鉱物でも、植物でも大事にはしていい。
大事にはしていいけど、成長のために一皮脱ぐことに執着してはいけませんよ。
執着はあなた方を苦しめますよ。

"大切にすること"と"執着"とは、全然、意味が違います。
執着はあなた方を苦しめるよ。
子どもが、お父さん、お母さんが、息子が、娘が、家族の者が肉体を脱ぐことに執着するとね、
逆に向こうは成長のために帰るに帰れなくて、
行くべき場所に帰れなくて、そこにしがみついているしかないんです。

だから執着している本人も憑依のように肩が重い、首が回らない。そういう現象を私はしたたか見てきましたよ。
身内の者でも、またペットでもね、成長のために去っていく者は、微笑んで喜んで送ってあげないと。
「また一段と成長してこの現象の世界に戻ってくるんだ」と、喜んであげないと。

あなたが今、大事にしている鉱物でも動物でも、物質はあなたへの学びが終われば手元から離れていきます。
だから大事にはしていいけど、執着してはならない。

明想で一体感を高めたときは、
いつでもいつでも会い、いつでも見ます。

ー上江洲義秀 質疑応答集 上江洲書店プロジェクト・編

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愛しいものを見送るとき
互いの存在を励みにして安らいだ気持ちで日々精進していけたら佳いですね。

去ったという錯覚から目覚められますよう
私たちは見えないものこそ真実であり
見えなくしているのは自らであることを思い
丁寧に心の曇りを晴らしていくとき
安らぎを感じ
この世界は愛でしかないことを知る旅となるはずです。
無知蒙昧の中で世界を見るとき、この世に神などあろうか⁈と不平等を怨み苦しみ、真実は見えないまま…

真実の学びが目を開きます。


愛の火が燃え伝わったときに世界に平和がくる…愛の伝燃。

「今、非常に危険な状態の国のほうに、
愛の波動が、愛のエネルギーが向けられますように」。
「その国の上に神の御光が満たされますように」。
「その方々の心に愛が与えられますように」。
「導かれますように」。

肉体存在の目的は愛の伝導体ですからね。
ひとりひとりが「どこに行ってどうしよう」ではなく、
一瞬一瞬、おかれている場で"愛"であること。

愛の火が燃え伝わったとき世界が平和となるだろう。
だからひとりひとりが愛の伝導体でなければならない。

ー上江洲義秀


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自らを救い
穏やかに平和への移行ができますよう

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# by serene44 | 2018-11-18 11:04 | 終活 | Comments(0)

魂の幸せを生きるために