赦しのコツ

目の前にあらわれた姿は
「自分の中にあるもの、過去に自分の中にあったもの、過去生での自分の姿」
であったかもしれないのです。

自らの目の前にあらわれるものに、自らに関係のないもの、縁のないものは何一つとしてありません。
その姿こそ自分を見る鏡です。
自他一体、そして全体は一つです。
内にあるものが外になり、現象は現象であって単なる現象ではありません。

人は様々な縁に触れて潜在意識が揺り動かされていくことが多いものです。
しかし、その姿に感情を動かされることなく、その方の成長を祈ってください。
その方の成長が自分の成長になり、その喜びがさらに自分の喜びになる時、
あなたの中から光が放たれ、自らの成長が加速されるのです。
相手の成長を促すことは自らにかえることを知らねばなりません。

それぞれの人生を思い返しても、よく乗り越えられたと思われる場面や経験がいくつもあったのではないでしょうか。
そして自らも忍耐、努力、反省を重ねてきたからこそ今があるのではないでしょうか。
その時、自らの杖となってくれた家族、友人、
そして他ならぬ自分自身に対しても感謝の気持ちを忘れないでいただきたいと思います。

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高い境地にいる者ほど、相手の姿は自らが過去に辿ってきた姿でもあり、それゆえにこそ、
自他一体であることが心から理解でき、導かれる者の心に響く言霊を発することができるのです。
聖人の言葉は砂漠の中であなたを癒す水となって心に深く浸透し、あなたを根底から変えてゆくのです。

高い境地に立つ者は決して驕ることなく人を責めず、自らに厳しく他に寛容なものです。
何故ならば境地の高みには限界がないことを知っているからです。
人の魂が磨きに磨かれ、無限向上の道を辿ってゆくことを願い導いてゆける者こそが、高い境地に立つ者と言えるのです。

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貪欲、憎しみ、利己心の対極にあるものは、
調和、愛、赦し、寛大です。
私たちは人の発する言葉の背後にある心の苦しみ、悲しみ、そして喜びを聞き取るようにしなければなりません。
現象としての言葉の背後にある原因を知る時、
相手に対する理解が深まるのです。
そしてそれはあなた自身のやすらぎにつながってゆくのです。

ー神さまがくれた処方箋 上江洲義秀

私たちは日々、人を裁き、誹り、嫉妬し…
聖書の中で「姦淫の場で捕らえられた女」の話があります。
「先生、この女は姦淫の現場でつかまえられたのです。モーセは律法の中で、こういう女を石打ちにするように命じています。ところで、あなたは何と言われますか。」
「あなたがたのうちで罪のない者が、最初に彼女に石を投げなさい。」と言われた。
…ひとりひとり出て行き、イエスがひとり残された。…
イエスは言われた。
「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。今からは決して罪を犯してはなりません。」
聖書では「例え話」が多く、実際、イエスは
「本人に考えさせ、その意志によって選択させる」ことを重視していたのです。(上江洲先生談)

聖人の言葉は、魂を揺さぶる愛の力があります。
真理の言葉を自らの内に、気づきを自己改善としていける私たちでありますよう。

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# by serene44 | 2018-10-17 01:13 | 終活 | Comments(0)

裁いても変わらない

赦す難しさ

Bさんは寛容な心でAさんを赦したところ、それをいいことにAさんは…次々と悪いことを重ね…
Bさんのとった行動は「結果的に悪いことの連鎖を助長したことになるのではないか」との問いに

連鎖を防ぐためにBさんはAさんの行動をひたすら強く責めるのではなく、
説得して正してあげなければなりません。
「説論」という方法により、この世で犯した行いを正し、導くことが赦しという寛容さに伴っていることが望まれるのです。

一方でより深いところでは、心で相手と一体となって見てあげることが必要です。
自らが光となり、完全愛となってとらえ、相手の本質が良くなることを祈り続けてさしあげてください。

現象としての不正は正さなければなりませんが、一方で被害を受けたBさんが過去に行ったことのカルマの解消を、
Aさんが過去の被害者に代わって行っている場合も実際にあるのです。
私が意識を変えて目の前にいる方の過去を見た時、現在の問題の原因が映像として見えてくることもあります。

さらに現象には、本人にとって思いもよらない全く別な意味が伴っていることもありますので、
強く責めることは賢明な選択とは言えないのです。

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平泉寺白山神社

波動の高い人とはどのような人を言うのでしょうか。
それは破壊的な考え方を持つことなく、極端に走らず、
調和と中庸の精神に溢れている人のことではないでしょうか。
自らの内と外に壁を作らず調和を保ち、己の個性に執着することも他人を見下すこともない人のことです。
周囲との絆を大切にし、自らを清心の状態に保ち、
他人も自らと同じように大切にできる人を波動の高い人と言うのです。
波動の高い場所には
「澄み切っている、暖かい、そこにいて心地よい、柔らぐ、穏やか、ゆったりする」という特徴があります。

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私たちは、自身の中にある神を心から求めた時、
自身の本質を見ることができるものです。
求めたものが自らの中に投影されるのです。

与えられる存在であると共に、何かを与えることができる存在になっているかと、自問してみてください。
人はそこにいるだけで癒される存在でなければなりません。

神は私たちが共に手を携え助け合って生きることを望んでいます。
磁場などの力によって自らの力が満ちてきた時、
そのエネルギーが周囲に還元されることを望んでいるのです。
磁場を慈場として、心から人々に手を指しのべられる存在になっていただきたいと思います。

ー神さまがくれたたった一つの宇宙の法則 上江洲義秀

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上江洲先生は仰られます。
あなた方はすぐ裁く。
裁いても変わらないと。
真理をもって責め裁いてはならないと。

私たちは神は罰を与えると勘違いしています。
神は裁きません。
法則が働くだけです。
出したものを受け取ります。

世の中の平和主義者の攻撃的な言動…
信仰?妄信がつくり上げる狭量と排他的な集団...
健康オタクの方たちの非健康?なものへの攻撃的で感謝のない言動…
愛は毒性をも超越する力があります。
インドの聖者は言います。「全ての食物はラサヤナである」と。。(ラサヤナとは薬草)
意識こそが全てです。

見下すのではなく、慈愛をもって説き導くことができる私たちであるよう。
一人ひとりの意識が変わることが他に影響を与えます。
国と国の問題や、自然環境の問題、大きなことも、小さなことと通じてます。
隣人を自分のことのように愛する、ことの自己改善が心から求めできるよう
このこと以上に重要なことが他にあるでしょうか。
私たちはそれをもって生まれてきた意味を真に知ることになるはずです。


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# by serene44 | 2018-10-14 23:30 | 終活 | Comments(0)

無知無力からの脱却

人類の意識は呼び起こされつつあります。
至る所で、樹木の樹液がすべての大枝や枝(全体)に命を送っているように、
真理が湧き出しています。

古いきずなは崩壊しようとしており、古い死んだ信条は消えようとしています。
樹液、すなわち、命のない枝と同じように、生き続けることはできないのです。

全人類は、より高い思考の界層に高められつつあります。
わたしは、あなたがたの中でむなしい言葉や教義によって作られたすきまを、埋めています。
そのため、あなたがたはもはや偽りのものにしがみつくことはないのです。

神は遠くにおられると説く人々には、もはや耳を傾けることはやめ、
あなたがたの内なる"霊"に耳を傾けなさい。
そこに真理は宿っているのです。

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もし、他人の信念に縛られているなら、あなたがたは束縛されていることになります。
わたしはその束縛を緩め、自由にするために来たのです。
わたしは唯一の生ける神がおられるという真理、
すなわち、あなたがたの中に生ける神がおられるという真理を授けて、あなたがたを自由にします。
神だけが生きておられ、わたしは神が生きておられるので生きています。
父はご自身の中に命を持っておられるので、子自身のなかに命を授けておられるのです。

自分が神と一体であるということを知り、それに意識的に気づいていれば、あなたがたは完全に救われます。
これが自由への開かれた戸です。

あなたがたの心は、これまで、外なるものから偽りの考えでいっぱいになっており、
こうして唯一の実在である、神性な内なるものへの戸を閉ざしていたのです。

あなたがたを分離させるような、偽教義に惑わされないようにしなさい。
キリストを説き、同時に分離を説く人々は、偽教師だからです。

わたしが一つの民族のためにだけではなく、すべての民族のために生きていることを知りなさい。
すべての人々は、天におられる父の子だからです。

それでは、あなたがたの兄弟に対する恨みと怒りを捨てなさい。

復讐を求めてはいけません。
自分のハートの中にあるものは自分にも降り掛かってくるからです。

ハートが清いということは、わたしの父の愛する子として、神のようになるということです。

内に完璧な冷静さを保ちなさい。
外からの影響が心の奥に入り、かき乱されるというようなことが決してないようにしなさい。

心は魂の鏡です。
あなたがたは、苦悩の中にあっても、常に父の臨在の中にいることを知り、もっと強くなっていくのです。

真の祈りは心からの真剣さです。
真の祈りには心を引きつける大いなる力があります。
祈りの時の真剣さが大事であることを、あなたがたの心に刻み込んでおきたいと思います。
この祈りは、外の神に対してではなくて、
内なる神のキリストを通しての父との交流なのです。

創造する力と創造の場所は内にあるということです。
そこにわたしは宿っています。
わたしがすべての人々の中に生きていると考えなさい。

人は兄弟の間柄であるという真理は、地の闇の及ばないところで成長を始めています。
まことに言っておきますが、神の目的を果たすのが、今もなおキリストの目的なのです。

父の家には邸宅がたくさんあります。
これらは意識の段階です。
神聖な現れを妨げている最大のものは自分の中にあるキリストに対する無知です。

非常に多くの人々がイエスのパーソナリティから離れることができず、
その結果すべての中にある永遠のキリストを見ることができないでいます。
このためあなたがたに知らせようとして来たのです。
これによって、あなたがたは神のキリストが普遍的だと分かります。

覚えておきなさい、わたしは常に共にいて、
あなたがたが、自分では気づかなくても、それに対して大いに手助けをしていることを知っています。

ーディヴァイン ヒーリング
イエスご自身が語られた御教え
M・マクドナルド・ベイン著
重松義章訳

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私たちは何のために生まれてきたのか
いつまでも無知の中にいて
無力の私たちでいてはならない時
地球の平安は私たちと分離してはいません。

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キリスト教が、キリストを限定されたものに覆い隠している中
私たちは、キリスト教の枠を外して、キリスト..すなわち神の理解をしていくことが必要です。
宗教という誤った概念が真理の理解を遠ざけているのです。
真理とは宇宙法則。平安への扉です。


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# by serene44 | 2018-09-26 00:12 | 終活 | Comments(2)

信仰という曇り

すべて物事には時機がある。
この大いなる物語りを語る時機が到来したのである。

大師は語る。
「彼等は迷妄を見ぬくことができない。その中に捕われているからである。
彼等は自分の偏見、信仰、他の人の言うこと、によって影響され、自己限定している。
彼等は真実でないものを弁別する創造的能力が自分達にあることを見落としてしまった。
迷妄に関する唯一の真理は、それが迷妄であるということである。
彼等がそのことを悟り、自分が迷妄の虜となるに至った過程を理解するまでは依然として迷妄の中に擒のままいるであろう。」

「このことをはっきりと把んで欲しい。」
「さもないと、君は真理を徹見したいと望みながら、
実は迷妄を懐くことになるであろう。
そのような状態で真理を知り得るわけはない。

まず第一に、何であろうと君がそれを信ずるに至った過程、
何で自分はそれを信じ込むようになったのか、ということを徹見しなければならない。
そうすれば、他の信仰や観念・思想や人々に自分が敵対するようになったそもそもの原因が何なのかが見抜けるであろう。」

「君らはみんなそれぞれに違った宗教団体や国家、イデオロギー集団を造り上げてその中に入り、
てんでに、自分の属しているものが本物であると信じ込んでいる。
そのためにお互いに争い、争いで結着がつかなくなると、互いに殺し合う。
そのような事態の中に一体真理があるだろうか。」

「迷妄が分かってしまえば、もはや自分が迷妄の一部となることはない。
そのとき真理が開顕する。

信仰とは何であるか、思想・考えとは何であるか、その正体が解ると心が心自身を解放する。
その解放・自由の中にこそ真実なるものがあるのである。」

この「道」を私は独りで進んでいかなければならない。
何故なら、自分以外の誰にも真理を私に啓示しうるものはないからである。
私はそれを独りで見つけ出さなければならないのである。
何という重大なことか。
真理は、私自身のものだったのである。

私は他ならぬ私自身のもろもろの考え方・思想や信条や、偏見や、恐れによって同胞たちから断絶していたのだ。

「私と父なる神とは一つである」〔キリストの言葉〕
私は主の力を感ずることが出来た。
『常に吾と偕にいますのは父なる神である』〔キリストの言葉〕
主こそが操縦者である。

どうして自分はかくも驚嘆すべきこと、この悟り、
この「直接体験による既知」を今迄逸してきたのだろうか。
悟りとはこのようにも単純であったものを。
今迄の自分の迷妄や信条への捉われ加減が今になってあざやかに分かるのであった。

主イエスのみ教えは、信徒と称する人々による信心振ったもろもろの形式によって蔽われている。
彼等は自分自身を神秘めかして人々を混迷に陥し入れる。

すべて物事には時機がある。
この大いなる物語りを語る時機が到来したのである。

ー解脱の真理〜ヒマラヤ大師の教え〜
M・マクドナルド・ベイン著
仲里誠吉訳

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私たちは外に求めて迷妄の中に入る。
信仰という名の、他への依存ではなく
己自身の中に道を見出していく。
師とは、自身で歩めるよう自立を即す手助けをする、先にゆくもの…先生であり、
親離れができない状態に置くのは愛ではないはず。
私たちは本来の自分自身…神の完全性を生きることが、生を全うすることです。
小さな欲に捉われて、大切なものに気付かずに生を終えるとき、後悔が待ち受ける。
渇望すべきは、何であるか。


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# by serene44 | 2018-09-25 00:16 | 終活 | Comments(0)

ラッパを吹き鳴らして自慢してはいけません。
むしろ、右手がしていることを左手に知られないようにしなさい。

ハートからなされたことは何でも、あなたがたの父は知っておられ、豊かに報われるからです。

たとえ、あなたがたが雄弁に語っても、ハートに愛がなければ、うるさいシンバルにすぎません。

たとえ、あらゆる知識に通じていようとも、あらゆることをなすことのできる信仰を持っていても、
ハートに愛がなければ、あなたがたの行うことは何の役にも立ちません。

あまり恵まれない人々に施しをし、貧しい人々を養っても、愛がなければ、何もしたことになりません。

愛は理解されません。
しかし、親切で、不正に耐え忍び、戒めることもありません。

愛は、悪を以て悪に報いるのではなく、善を以て悪に報います。
柔和な中に、愛は正しく判断して、それらを導きます。

愛は一切の権威ですが、謙虚です。
愛は虚栄を張ることもなく、成果を誇ることもありません。

「わたしは命である」
富もまた、この言葉を窒息させます。
なぜなら、世俗的欲望とごまかしがあるからです。
これらは成長を妨げるアザミです。

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心の中の平安というのは、大いなる謙虚さだと分かることです。
けれどもこの謙虚さは、崇高で、
「わたしは自分では何もできません。なさるのは、わたしの中に常にとどまっておられる父です。
父が偉業をなさっておられるのです」ということなのです。

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天国はあなたがたの内にあります。
このことは全世界で言われてきましたが、その深い意味を理解した人はわずかしかいないのです。

あなたがたの中に常にとどまっておられる父を意識するようになりなさい。
父には不可能なものは何もないということを知りなさい。
そうすれば、あなたがたが言うことは何でも成就します。

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お互いを分離させるものはすべて偽りです。
分離はあなたがたの中にあるキリストを否定します。

体を構成している各部分は同じ機能を持っているわけではありませんが、一つの体に属します。
あなたがたも同じです。
数多くの人がいますが、違う働きをしています。
しかし、あなたがたは皆一つの体です。
キリストの体がすべてを保持し、すべての中にキリストの霊があります。
どうか一緒に深く考えて下さい。

自然の体と霊の体とがありますが、キリストは両方の統治者です。

愛はすべての生きている霊に宿っています。
大いに愛しなさい。
そうすれば、わたしはあなたがたを通して、わたしの業をなします。

あなたがたの仕事はキリストと協力することです。
それで、あなたがたはあらゆるやり方で癒しをする手立てとなれるのです。

「御心がわたしの中で行われますように」

ーディバイン ヒーリング
イエスご自身が語られた御教え
M・マクドナルド・ベイン著
重松義章訳

人に認められることを求めて、何になるでしょうか。
昔から、お天道様が見ている、という精神が日本人に深くありました。

知人の、今は亡き102歳のおばあちゃんの言葉は謙虚で清いなぁと思いました。
許可を得て載せさせていただきます。

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歳を重ねて、熟成していける私たちでありたいです。
清らかな中に愛は宿って、愛のはたらきをするのだと思わされます。

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# by serene44 | 2018-09-17 10:43 | 終活 | Comments(0)