天国も地獄も心がつくる

救世主は外から来る援助者ではなく
天の王国は内にあることを知らなくてはならない。

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貴下は自分の成功を、他人よりの援助に依存させるつもりか。
もしそうなら、恐らく貴下は失敗するであろう。
多くの人が、他の仲間が自分の荷物を運んでくれるのを待っている。
しかし、乗せてくれる代わりにその反対のものを獲るのである。
他を当てにして成功しようとする以上、一般的にはそれが当然の報いである。

貴下は神を通じ、神のみを通じて、健康を、成功を、幸運を求めるべきである。
それは真の健康、真の成功、真の幸福なのである。

どんなことであっても決して神以外の者に求めてはならない。
神のみが貴下に与えうる唯一のお方であるからである。

「捜せ、さらば見い出さん、求めよ、さらば得ん、叩けよ、さらば開かれん」

「真理は汝を自由ならしめん」
真理を知って初めて、我々は自由になる。

「汝ら吾を信ぜば永遠の生命を得ん」
キリスト原理を通ずること、貴下の内なるキリストを通ずること、が、無限にして久遠なる愛のドアーである。

肉体の愛を超えた愛、貴下の家族圏を超えた愛、若干の諸国民の間に支配的な様相を呈している国粋主義を超えた愛、何ものも断ち切ることのできないほどの深い愛、それが神の愛である。

あらゆる人々がこの、ありとしあらゆるものを抱擁する愛を受け入れたとき、我々のあらゆる見かけ上の葛藤は完全に絶滅するであろう。

しかし人間は神の愛を十分には把握してない。

これを我々の目標とするがよい、即ち、すべての人々に真理を知らせること、深い愛のゆえに、十字架の刑死の最後の瞬間に、
「彼らを赦し給え、彼らはおのが為す業を知らざるが故なり」と仰せられたイエスのように、すべての人々をして他を愛させること、である。
貴下もイエスのように言えるか。三思するがよい。

ー神癒の原理

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「真理は汝を自由ならしめん」
私たちは真の愛に生きることで、一人ひとりが救世主として愛を顕現していくこと…

多くの物質的形態は亡ぼされるかもしれないが、意識や質料や復活の体は違う、一指もふれることはできない。
復活の体が弟子たちには見えたように、来たるべき文明にとっても見えるようになるであろう。

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私たちは見えるものの背後にある、見えないものが本質であり、見えるものは結果であることを知らなくてはならない。
意識の階層は厳然として存在すること。
この世に学ぶ意義は意識の拡大をして、制約なき無限の愛を生きることではないでしょうか。

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地獄を実在とするような考えを受け入れるならば、ここ地上で地獄を味わうことになる。

愛という感情をして貴下のあらゆる想念と行為とを支配せしめよ。

愛と平安貴下とともにあれ。
ーM・マクドナルド・ベイン


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# by serene44 | 2018-08-15 13:37 | 終活 | Comments(0)

言葉が人生をつくる

人は言葉を意識し、その影響を受けるものです。
ものごとの全体像は言葉によって表現できるものではなく、言葉には自ずと限界があり、体験の力には及ばないものです。
体験こそ最も優れた学習手段と言えます。
しかし同時に、人は言葉という手段から全体像の本質を想像する存在でもあるのです。

身口意の要にあるのが言葉であり、この三つが一致することが望まれるのは、この世の人ばかりではなく現界での次の機会を待っているあの世の人々も同様です。

この世の中、家庭、職場、社会で身口意が正しく行われているかを見つめるのが私たちの修行と言えるのではないでしょうか。

自らの身口意によって人が傷ついていないかを徹底して考えなければなりません。
人は自ら発した言葉に引き寄せられていくという特徴を持っています。
相手に発した言葉は相手にも影響を与えますが、より自分にはね還ってくるのです。
相手を心地よくさせ励ます言葉は、自分への励ましにもなります。

思いも波動、言葉も波動であり、言葉に愛をこめるとどんなことでもうまくいきます。
目の前で怒りの言葉を発している人には、
「この者に光を、無限の許しを、無限の愛と安らぎを」
と祈ってあげてください。
その方も長い旅路の果てのいつの日にか、天使の囁きを発する人になるのです。

私たちが使う日本語には言魂が宿っており、特に母音である「アイウエオ」を組み合わせて口に出すことで、場を浄化させ、高い次元につながりやすくなります。

私たちは呼吸する時、同時に生命エネルギーも吸い込んでいます。
息は生きる力、生かす力です。
この世は「波長同通」の世界であり、人を励まし、自らをも明るくする「肯定語」をより多く使うことで、自らの運も上昇してゆくのです。
ー「神さまがくれたたった一つの宇宙の法則」ことだま 上江洲義秀

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今日は花の日。
大好きな友人に数年ぶりに再会し、嬉しいひとときを共にできる喜びは、未来の自分をも励ます力になります。
彼女は肯定語しか話さない、美しい人。
存在する場を愛で満たしていくよう。
私たちは努力により、そのようになれるのです。

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世界の美しさを見いだし、美しさを表現していける私たちでありますよう。
意識により、世界は違う表情を見せること、低地にいては見えない景色が山の頂にあります。
人生の旅路は、上り坂を一歩一歩、あゆみ進める登山のように、俯瞰しながら。


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# by serene44 | 2018-08-07 06:20 | 終活 | Comments(2)

人生のしくみを知ること

死は終わりではなく、新たなる始まりであること、そして生は自分でプログラムしてきたものであること。

死ぬ前に「人生のしくみ」を知ったことで、死は移動するだけで、また会えることがわかったのです。

意識を失ってICUに1日入っていたときに、彼女はご主人の耳元で「人生のしくみ」を全部語ったそうです。
そうしたら、亡くなったご主人が夢に出てきて、「おまえが死ぬ間際に大事なことを教えてくれたから、いい世界に帰れた」と、喜んでくれたというのです。

by越智啓子
ー人生が楽になるほんとうの癒し  上江洲義秀、越智啓子

☆苦手な人に愛を送ること♡
その人を三歳児としてイメージする等、幼くして、自分がやりやすいようにイメージを変えて、愛を送ってみるのです。

「許す愛」は、「愛」の中でもかなり難しくて高度なものだと思います。
それを学ぶためにも、いじめ役は自分の人生にとってなくてはならない大切な脇役なのです。

「許す愛」の中には、自分を許すことも含まれています。

「I am that I am.(私は私!)」

ー人生のしくみ  越智啓子

私たちは真理に目覚め、愛で、許しで、生きて幸せになり、本来の自分を全うしていけますように!
あの世のしくみ、この世のしくみを知ることは魂の迷いを払います。
見えない世界にこそ真理は顕現していること。
やられたら、やり返す、ではなく、苦手な人が真なる自己の幸せに目覚めていけますように愛の想いを送る。
キライな人がいて幸せな人生もなく、幸せなあの世もありません。その思いも関係性の鎖もあの世に続きます。
愛でほぐしていくことで、鎖はほどけ、世界は無限に広がりゆくのだと知ることになるはずです。
生きるテーマは「愛」でしかないのです。

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# by serene44 | 2018-07-31 06:30 | 終活 | Comments(0)

いわゆる一般的な日本の仏教と言われる供養は供養なんでしょうか?
葬儀、法要、仏壇、お盆の御霊迎え…墓なども含めて、お釈迦さまは一切言及されてませんね。

そもそも、お釈迦さまの教えは日本独自の仏教とかけ離れてます。

ブッダが悟りによって辿り着いた境地が涅槃です。
死んだあとにブラフマンに帰って苦しみを脱するのではなく、
この人生を生きているうちに生老病死を乗り越える力を持つことを目指す。
仏教も最終的には解脱を目指すのですが、ブッダは「生きている間でもあなたは救われますよ」と言った。

大乗仏教が生まれたのはブッダ入滅から四百年も後です。
新しく経典を作ってしまった。「般若経」「華厳経」「法華経」はこのときできた経典です。
もともとはなかったものを作ったのです。

「南無阿弥陀仏」と唱えるだけで極楽浄土に往生できる。
南無というのは、おすがりしますという意味です。
「阿弥陀仏におすがりします」と唱えるだけで、修行をしなくても救われるというお手軽仏教が広まったのです。

今、生きているこの人生で、理詰めで思い込みを排除して、苦しみから脱却する、
というブッダの悟りとはかけ離れてしまっていますね。
ーイエス・キリストと神武天皇
茂木誠が世界の五大宗教を講義するー

殆ど全ての宗教が、当初のものとはかけ離れたものになってしまっています。
一体、私たちが信じて?供養している行いは意味があるんでしょうか。

私たちの肉体こそ、神棚であり仏壇なのです。その中にこそ神・仏があるのです。
肉体こそ私たちの魂のあらわれ、限りない転生と遺伝という縦横の糸が交差する場所なのです。
そして私たちは、輪廻の中の宿題も肉体のご先祖から引き継いだ遺伝さえも、悟りによって変えることを知ることができます。
自分が根源の世界にしっかりとつながっていれば、他に神・仏を求めることはなくなり、
自らの中にある神・仏を磨き輝かせようとするものです。

塩は本来は「整える」「調和する」というはたらきを持っており、空間の調整をする役割を担っているのです。
お清めの塩はいくつかの説がありますが、一つには故人との気持ちの整理だと思います。
葬儀をとり行うことで故人への親愛の気持ちが強くなりすぎると、故人が光の世界に還る妨げになることもありますので、
故人への思いを「調整」する意味も含んでいるのではないでしょうか。
ー上江洲義秀

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ちなみに、クリスマスをイエスの誕生日としたのは、イエスが亡くなってから355年後の話で、
キリスト教会はミトラ神の誕生日に合わせて祝い、その後グレゴリオ暦に変わるときに25日に変わって現在に至るそうです。
さらに生まれ年が決められたのは6世紀のことです。
要するにイエスの生誕というのは日付けはめちゃくちゃ、年号もずれてる、のです。

そもそも、イエスやブッダが語った?とされ、弟子がまとめた教典も、正しいのか?わからないですね。

教義さえも不確かな中、確かなものは己の中にある神のみ。
外にあるものではなく、内に求めよ、なのです。

私たち一人ひとりが愛を体現して生きることこそ、本当の供養になるのではないでしょうか。

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# by serene44 | 2018-07-23 00:52 | 終活 | Comments(0)

死を前にして後悔の無い人生だったと、迷いなく言えるでしょうか?

「武士道と云ふは死ぬことと見つけたり」
「常住死身」
〜葉隠
常に死んだ気になって、ことに臨むこと。
スティーブジョブズ氏も同じことを言ってます。
〜もし今日が人生最後の日だとしたら、今やろうとしていることは 本当に自分のやりたいことだろうか?〜
死は彼方にあると思うから時間を無為に過ごします。
本質を見失ったまま、この世を去るとき、モヤモヤと漠然とした不安を感じるのは、なぜこの世に生を受けたかを忘れたまま実存を捉えずして幕を引くことの後悔。

そう、必ず私たちは後悔します。
あの世の入り口に立ったとき。
何をしに、この世に生まれ出たのか。
誰が裁くのでもない、己の心が問いかけます。

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もう「愛」で以外には、「慈悲」で以外には、すべてを思いやり、いたわれる人間でないかぎりは、
生き残れないときがくるんです。

「誰かが誰かを救いましょう」が、真理ではありません。
真理は自己改善なんです。
自己改善とは、自分自身で自分を変えていくこと。

偽我の自分から真我の自分へ。
怒りの自分から愛ある自分へ。
嫉妬の自分からすべてを思いやれる、いたわれる愛の自分へと。

真理を正しく理解して、正しく生きていくことほかに方法はないんです。
真理とは愛です。真理とは慈悲です。
一点の分離・区切り・差別のない心の状態に生きることを、「真理に生きる」というんです。
「心清き者よ、幸いなり」と、そう生きていくことが、真理を生きるということなんです。

これからこの現象の世界は、もう皆さん自身が「愛」でない限り、「慈悲」でない限り、
自らをどん底に追いやっていくだろう、と。

魂よりも肉の悦びを優先し、祈りさえも、そして技術さえも我欲を満たす手段とする誤りを続けたのです。
財を求め地に執着し、神からの賜わりものである遺伝子を操り、不可知の力に注目する余り、
その制御が不可能になり、似た所業を幾度も繰り返してきたのです。
それを進歩と信じて…

自らの幸福感のみを追い求め、他を差別し、驕りの元に支配欲に走り、精神の科学さえも誤った使い方に走り、
神に抗い、神から遠ざかり、自ら災いを招くに至ったのです。

かたよりの自分から中道の自分へと歩を進めることで崩壊への道は避けられるのです。
気づきによって人の運命も文明の方向も変えることができるのです。
学びという調和の場の中でカルマの刈り取りが極めて無難におこなわれてゆくのです。

この世に生まれる時に私たちの記憶が何故消されるかといいますと、意識を今に集中させるためです。
神は「できる時にできることを徹底的にやり抜くあなたになっていただきたい」
「今だけを見つめ、今に生きてほしい」と願っています。

今を生き、不調を通して学び、精進努力を重ねて徐々に本質に目覚めるためなのです。
今生で解消すべき内容の一つひとつが全て分かり、運命さえもが決まっているとするならば、
私たちがこの世に生きる意味などありません。

人は皆、もがき苦しみながら生き続けます。
そして挫折から立ち上がり、一つの課題を解決した時、目の前に新しい課題があらわれてくるのです。
こうして人は耐え忍び、そして学び、根源の世界に融合する旅を続けてゆくのです。

人は縁あってこの地に生まれ、この地で生きていくことを決め、惑いながらも成長していかなければなりません。
友を想い、故郷を想い、肉体を脱ぐその最後の時、今生が良い旅路だったと言えるあなたであっていただきたいと思います。
ー上江洲義秀

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無知は暗闇です。
真理という明りを灯し、進む道を照らしてゆくのです。
この世を闇に過ごすならば、あの世も暗闇。
真理という松明を持って、私たちは本来の自分を生き、他の私たちを照らし助け合う私たちであらんと願います。


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# by serene44 | 2018-07-16 23:48 | 終活 | Comments(0)