ヨガ(心の平静)

人の心は一時的な感情に動かされやすい。
だからギータの各章にはヨガという表現がつけられている。
ヨガという語は、心の波立ちを克服することがいかに大切かを強調するために用いられている。

悲しみは、歓喜の一時的な欠乏であり、歓喜は一時的に悲哀が消えているだけのこと。両方とも永続しない。
霊的な方法によって得る歓喜こそ永遠である。

ではこのヨガ(心の平静)の状態はどうして得られるか。
それは神への帰依全託である。
一切の言葉、想い、行為を神に捧げ、個我意識を拭い去って神意のままに一切を受けとめ、すべての行為を神からのうながしに委ね、神の指示に従って仕事を遂行し、神のプランに従って行動することである。

ーバガヴァータ・ギータとサイババ

ヨガとは真理を知って執着を去り、心を波立てない霊的修業をいう。
心が浄らかになり、平静になると人の心に内在する天の智が顕れる…

「バガヴァート・ギータ」より

2-7 心をつくして仕事をなせ。しかし仕事の報酬を考えてはいけない。報酬のためにではなく、ひたすら仕事をなせ。

2-48 ヨガによる平静な心で、利己的欲望を持つことなく仕事を行え。行為の結果の成功によっても失敗によっても心を乱してはならない。ヨガとは泰然自若たることである。つねに変わらぬ心をいう。

3-8 行為は無為にまさる。したがって世に生き、仕事をなせ。なにもしなければ、生きているとはいえない。

3-15 浄らかな行いは「ヴェーダ」に記されている。それは不滅の言葉である。

4-24 あらゆる仕事のうちに神を見るもの、その人は神のものとなる。

4-34 自分自身を体得した者が英知を教えることができる。

6-28 浄らかな心でつねに心が調和しわれに祈る者は永遠の歓喜を得、神と冥合の無限の歓喜を得る。

7-22 ひと筋の真心でわれを崇める者、心がつねに平静で調和している者、わたしはそれらの者に、かれらのすでに持てるものをますます増やし、まだ持っていないものを与える。

9-25 神々を礼拝する者は神々にゆく。父祖を礼拝する者は父祖にゆく。低い霊を礼拝する者は低い霊にゆく。されどわたしを礼拝する者はわたしに来る。

9-30 たとえ極悪の罪人であろうとも真心こめてわたしを崇めるならば、正しい人間である。なぜならばその者は正しい意志を持ったからである。

18-58 わたしに心を集中する者、その者はわが恩寵により一切の危険を免れる。しかし自分のことを考える者、わたしの言葉に耳をかさぬ者、それらの者は滅亡する。

ーカリユガを生きる

感情を従え配下に置くとき、人生を真に生きる。
夢の中に生きるのではなく、初めて地に足をつけてリアルを生きる。
英知は外にではなく内に出会い…
人生の目的に真に出会える。
私たちは無為に時間を過ごすならあまりに人生は短く、後悔だけが残る。
神に心を合わせないで真の人生は見つからない。

ひかるかおる HIKARUKAORU

真なる光に心を洗う。

詩が雅で、ギターの音が深い癒し。。

暗黒より光明へ



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蕾が花開きました。



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by serene44 | 2017-11-23 23:47 | 終活 | Comments(0)

「苦しかったら、ここで死ね。行場が行者の死に場所ぞ」
一瞬、死につつある私に対して仏さまがそうおっしゃったのかと思ったが、母だった。
人間は死ぬときであっても、声に出して呼べば、呼び戻せるものなのだ、と私はこの時、感じたのである。
この言葉は、いまでも私の脳裡にしっかりと刻まれている。

人が仕事に打ち込む場、切磋琢磨しながら活躍する場は行場である。
……

「もう峠を越した。このままいけそうです」
すると母は「何を言うのか、行はこれからだ」
しばらくすると母の言葉通りになってしまった。
私は「今日からはじめるのだ」「今日がスタートなのだ」と自分に言い聞かせた。
だが、もう駄目だ…と気持さえ萎えていた。

…お不動さまが行者をお守りくださるのだと、その時、気がついたのである。
ー「密教の呪術 その実践と応用」池口恵観

もうこれ以上は無理だ…という限界までがんばった記憶があるでしょうか。。
生命の炎は燃焼させてこそ、精一杯生きたという実感を得られる。

今日で命が尽きるとしたら、後悔するのは不完全燃焼ではないかという気持ち。
命燃やして生きているならば、行場で命尽きることに後悔はなく。
ご加護はギリギリまでがんばる姿にこそ現れる。

軽んじてないでしょうか?
命がけでがんばる場所なんて無いと。
それは与えられているものに感謝がないから…
仕事があって当たり前?仕事は苦役?
古来、日本人は仕事を神事としてきました。
生活すること全ては即ち神事です。
与えられたものに感謝し、自分の役割を追求していくところ、その過程にある姿が尊いのです。

ラクをして生きるのが目的になってはならない。
怠慢、怠惰は罪であると神道では諌めてます。

怠けていると何も残らないのです。これこそが重い罪であるということなのです。生まれてきているのに何の意味もない。

国津罪というのは、人対人の罪です。

天津罪とは、天に対して向けられた罪です。分かりやすくいうと天対人の罪です。
噛み砕いていうと、つまり、天との契約においての債務不履行のことです。
もっと簡単に言うと、怠け者の罪と言ってもいいです。


怠け者というのは、実は、国津罪の3倍重いとされています。


与えられているものの果てしない大きさに驚愕するならば、感謝は湧き上がり、与えられているものに少しでも恩を返していけるよう邁進するのが仁義ある姿と思います。

若いほど恩知らずであり未熟。
老練とは恩を知って実行していくことで、燻し銀のようなオーラを放っていくのでは。

そして、仁義の実行により、愛になれる。
愛は仁義の上。
与えられたものを返していく仁義。
愛はただただ与えていく行動。神に至る道。

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鮮やかさは寒暖差から

大祓詞の大切さは、実は省略された箇所にあります。(転載)
畦放 溝埋 樋放 頻蒔 串刺 生剥 逆剥 屎戸 ここだくの罪を 天津罪と法別て
生膚断死膚断 白人胡久美 己が母犯罪己が子犯罪 母と子と犯罪子と母と犯罪 畜犯罪 昆虫の災 高津神の災 高津鳥の災 畜仆し蟲物為罪


この省略された禍が顕現しています。
それだけ大祓詞の力があるということ。
神道は科学です。宇宙法則を体現。
日本人だけがその価値を知らない。
ご神事も平成に入り省略されてから、昭和に比べて災害が甚大になったことは、その重要さを改めて知らされます。

正式な大祓詞を清浄なる波長にて奏上されている動画再生で、お祓いになります。

愛の波長…特別な周波数で潜在意識に浸透します。

Black Milk Pearl 運命の人

(ソルフェジオ周波数444hz・528hz)


与えられているものの価値を知ることは重要。知らないのは不敬の行動をとるから。カルマになります。


与えられている愛に気づかずに失ってから気づいていく愚かさの人生を自分が生きています。

せめて少しずつでも返していきたい。


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祖母の愛。思い出すばかり…心無い日々を過ごしたことや諸々。
失うことから本当の愛を知る…のは哀しいですね。



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by serene44 | 2017-11-12 08:59 | 終活 | Comments(2)

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